2017年 03月 11日
311
あのときのあの感じは忘れない。
夏、福島にフィリピンの子どもたちを送っていた。
安全な、のどかなところだよ、と言って。
あのとき思ったこと。
「わたしは逃げずに働かなくてはならない」
全部覚えていよう。
夫が「上司に言われたから」と
空っぽの操り人形みたいに
出勤して行ったちゃんちゃらおかしい地震の翌日のことも
ねこのサバが
何も変わらず楽しそうに庭で遊んでいて
とても悲しくなったことも
せんせい、南京に逃げましょう、と
南京の学生が差し迫った気持ちで
ありがたくも恐縮する提案をしてくれたことも
お金がなくて国へ逃げられなかった子たちと
暗い教室で勉強したことも
家族と連絡がとれていないのに
わたしに心配のメールをくれた
心優しいすずさんのことも
地震で休講になったぶんの、八割の給料は
なんとしても払いますと宣言した、
デブでゲイの上司マツコのあっぱれな男気も
80人の子たちを連れて避難して勉強した
広島芸北の雪の深さも寒さも
なにもかもを覚えていよう。
by meggy_i
| 2017-03-11 21:07